1982年以来、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、 この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。 青龍寺は復興され、そこには空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。 また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。