青 龍 寺

1982年以来、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、 この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。 青龍寺は復興され、そこには空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。 また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。

弘法大師空海は、804年に遣唐使に随行した際、この寺を拠点として勉学に励んだ


当時の建物は焼失が、1982年空海ゆかりの地、四国4県と真言宗徒、西安市が共同で寺院を再建した



  
     石版に彫られた空海の像          四国88カ所寺0番の朱印


大理石の空海祈念碑 


空海記念堂


空海記念堂内部    空海関係の文献が収められている

  
売店では朱印を押してくれる                    参拝記念記名を (殆どが日本人)


中庭を取りまく回廊


雲峰閣       記念堂が建つ