11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。 その後、浜松城主になられた徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、 その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と申されました。 それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。
三尺坊様は、奈良・平安時代、信州に出現された実在の僧で、二十七歳の時に、 一切衆生を救済したいと発願し百日の断食と二十一日の不動三昧の護摩の秘法を修行し、 満願の日に観音様の三十三化身の一つである迦楼羅身(かるらしん)となられ、無量の神通力を得られました。そして、 静岡県春野町の秋葉山に降り立ち、全国の秋葉霊場の総本山とされました。明治維新、明治政府令により、 秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ)が廃寺取り壊しになった時、三尺坊様の御身躰は可睡斎にお移りになられました。 それ以来、当山は全国の火防の総本山として信仰されております。