水戸 偕楽園
偕楽園は、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで「日本三名園」の一つ

1841年(天保12年)水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園が開始され、翌年に開園した 斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけた その名の精神により当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放され、この精神を引き継ぎ、日本三名園では唯一、入園無料である 広さは、公園全体で約58ha、うち本園が約13ヘクタールある 100種3000本のウメ(梅)が植えられている。園内にはウメの異名「好文木」に由来する「好文亭」がある(「好文亭」見学はは有料)


満開にはもう少し、六分咲きとのこと  日曜日で園内は観覧客で溢れている  好文亭前の広場

    
千波湖畔の駐車場より県道50号・常磐線偕楽園駅を越える偕楽園橋(横断歩道)を渡り東口に


梅まつり用のパンフレット 梅園と好文亭を見るだけで予定時間に・・・ツアーの悲しさ!


東門内の梅花 もう少しで満開  芝生の上は何処も休む皆さんで一杯


野点が行われ順番を待つ皆さんが長い行列を作る   お手前を頂きたいが、じいさん一人では列に並ぶ勇気無し

  
甘い梅の香に思わず深呼吸  満開まではあと少し・・・・・



   
満開の木には多くのカメラマンが


観光客に笑顔を振りまく梅大使のお嬢さん    甘い花の香りの中・・・・声を掛けるチャンス無し


好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、
梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれている  


好文亭への通用門

  
拝観料はシニアは無料 (証明書なくも口頭申告で)

 
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいる、 昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが復元される


落ち着いた雰囲気を漂わせ、往時を偲ばせる

  
玄関(下足を袋に入れて)                                菊の間

 
羽衣の松切り株
三保の松原にある羽衣の松を移し植えたとされたが、 老松で残念ながら枯れてしまった


菊の間

桃の間
素晴らしい襖絵も見学者多く、ゆっくりと鑑賞することは出来なかった (次回の見学に期待)

  
当日は見学者が多く、入場から退場までトコロテン状態の見学であった




美しい庭を見ながら亭内をめぐる   どの季節でも素晴らしい眺望が望めることでしょう

   
梅之間                      萩之間                     桜の間


亭内の廊下より眺め(亭の中庭)    左近の桜の巨木が中心に芝生が広がる

   
藩士の間                            西広縁   網代張り天井が美しい


満開の梅


三階 楽寿楼


左端に左近の桜、遠方に千波湖が、千波湖右に駐車場が、右下を常磐線が走る

 
三階よりの展望 左:東門方面、左近の桜の大木が見える  右:西門方面



偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅に停車する特急「スーパーひたち」



常磐神社 (ときわじんじゃ)
偕楽園に隣接し、水戸黄門こと徳川光圀公と9代藩主斉昭公をまつる水戸で最大の神社

  
道を挟んで常磐線偕楽園駅がある(偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅)

 

     


列を作って参拝  お神籤を見る若いカップルが多い


社務所 神印を頂く


両公のおくり名「義公」「烈公」から名をとった義烈館には、二人の遺品を中心に書画・工芸品など展示している
時間の関係で観覧出来ず

  
常磐稲荷神社

  
城跡より発掘された火薬壺

  
花盛りの梅の盆栽が並ぶ屋台も賑わう
   
  
日曜日なので食べ物の露天が賑わって居る


常磐神社正面石段(常磐線偕楽園駅前)



千波(せんば)公園

偕楽園の南東に隣接する周囲約3.1Kmのひょうたん形の千波湖周辺は、ボート遊び、湖畔をとりまく桜並木の遊歩道の散策、
ジョギング、サイクリングなどが楽しめる市民の憩いの場となっている
  
白鳥に混じり黒鳥も春の日差しの中優雅に泳ぐ  時間が許せばスワンボートで湖上に出てみたい・・・・

  
湖畔に建つ水戸黄門像(水戸藩第2代藩主徳川光圀公像)


徳川斉昭公像