真言宗に属する自生山那谷寺は、717(養老元年)年に泰澄大師が千手観音を岩窟に安置したのにはじまるといわれる。 平安時代に花山法皇が参詣した際、西国33ヶ所の霊場の第1番那智山の那と第33番の谷汲山の谷をとって那谷寺と名付けられたとの伝承がある、 平安中期には、温容寺、栄谷寺とともに白山3ヶ寺の1つとして、寺領も多く、僧兵もいましたが、中世末期の一向一揆ですっかり荒廃してしまい、 これを1640(寛永17)年に前田利常が復興した。現存の本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院および庫裡は重要文化財。 魂の輪廻転生胎内くぐりの聖地であった岩窟内に本殿を設け、新しい自分に生まれ変わることを祈る場所で知られている。