外 宮

豊受大神宮は外宮と呼ばれ豊受大御神をお祀りしている。 豊受大御神(とようけのおおみかみ)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)のおめしあがりになる 大御饌(おおみけ…食物)の守護神であり農業をはじめ諸産業をつかさどる神とされています。 天照大御神のお召し上がりになる大御饌(御食物)の守護神であり、 すべての産業をお守り下さる神様として豊受大御神をお祀りしています。


第21代雄略天皇の22年(西暦五世紀)に天照大御神の御神慮によって丹波の国(今の京都府北部)より、
この地にお迎えしたと言い伝えられている


表参道日除橋(第一鳥居口御橋)
防火の為に造った堀川にかけられている橋で、この橋を渡ると神域に入る。
外宮ではすべて左側通行になっており、手水舎もその関係で左側に配置されている。

  
              第一鳥居口参道                      外宮神楽殿・御神札授与所                


正宮

 皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、天照坐皇大御神のお告げによって、 丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。 唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、 鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になっている。



正宮

御正殿は唯一神明造りと呼ばれる建築様式で、一般神社の神明造りと区別して呼ばれています。 屋根は切り妻造りの平入で萱葺きであり。両端の破風板の先端が屋根をつらぬいて千木(ちぎ)となっていて、 外宮ではこの千木の先が大地と直角(垂直)の外削ぎになっています。(内宮では水平の内削ぎになっています) 棟の上には9本の鰹木が並び、この棟を直接支えている棟持柱が両端にあります。 柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木(しらき)造りで造られています。 これらの唯一神明造りは高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれている。



拝所の横から内部が見えるが、「正宮」の一番奥に位置し、祭神が鎮座する「正殿」はいくつもの垣根に遮られ、内部を直接見ることはできない


正宮の前の池から出ている水路には「亀石」と呼ばれている小さな石橋がかかっている

 
多賀宮  豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)

豊受大御神の荒御魂をおまつりしている、外宮第一の別宮です。  小高い檜尾山上にあり、約100段の石段を上るとようやくたどり着けます。高い所におまつりするから昔は、高宮とも書かれていました。



土宮  大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)
外宮の土地の守り神で、多賀宮への参道の右側にある


風宮  級長津彦命(しなつひこのみこと)、 級長戸辺命(しなとべのみこと)

風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するようにと祈りが捧げられる社でありましたが、 元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰がそこに加わり、現代にも生き伝えられている。 元寇時に神風を吹かしたと伝えられる


 伊勢神宮の参拝は、はかつては皇室のみに許されていた特権であったが、室町時代になると将軍や武将も参拝できるようになり、 次第に一般民衆も参拝可能となり、江戸時代には伊勢詣りはブームになったという