青 竜 山 茂 林 寺 曹洞宗
館林市堀工町1570
「分福茶釜」ゆかりの寺として知られる  


総門 - 山門間の参道では20体ほどの狸の像が参拝客を迎える

  
総門(通称黒門)   寺の入り口の門    応仁2年(1468年)に建立
    門をくぐると参道の両側に茶釜の狸と狸の立像がずっりと並んでいる。 どの狸も浴衣を羽織っている。(年により着る物が変わるよう・・・)

  
参道 総門から赤門へと続く参道には、21体の狸像が並び参拝者を出迎える   像の下には一句そえられている


浴衣を着た狸たち、着衣を付けない状態の狸たちを見てみたい・・・


  山門(通称赤門)   黒門から本堂へと続く門。元禄7年(1694年)の建立



山門前の狸たち

  
山門をくぐると大きな狸、観音像が

  
本  堂      応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院

  

  
本堂右手に本堂・茶釜の参観受付が             御朱印を受ける

  
本堂参拝玄関に置かれた大黒様              大きな歓迎の寺

 
本尊 : 釈迦牟尼仏 (釈迦如来) (しゃかむにぶつ)
当寺の本尊、釈迦牟尼仏像が祀られています。応仁2年に建立、享保12年に改築を行い、現在に至る

  

 
本堂内を回って裏手に回る


「狸コレクション」と称する日本各地の狸にまつわるグッズや狸の剥製が多くが展示されている

  
所狭しと並べられた狸の剥製と置物(信楽焼)


正通大和尚像、守鶴像
開山大林正通大和尚と、之に随いこの地に至った守鶴和尚の像が安置されている


本堂裏の庭園       狸のコレクション部屋より本堂の裏を回り茶釜展示室に向かう回廊

本堂北側の一室には分福茶釜が安置されている
    
分福茶釜には、お伽話としての「ぶんぶく茶釜」と伝説としての「分福茶釜伝説」の二通りの説話がある。

「分福茶釜」
元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。
その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。
守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
 その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。
これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
 人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
 後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました

「茂林寺の釜」
応永年間のこと。上州(現・群馬県)の茂林寺という寺に守鶴という優秀な僧がいた。彼の愛用している茶釜はいくら汲んでも湯が尽きないという不思議な釜で、
僧侶の集まりがあるときはこの釜で茶を振舞っていた。
あるときに守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと守鶴の股から狸の尾が生えていた。守鶴の正体は狸、それも数千年を生きた狸であり、
かつてインドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へ来たのであった。不思議な茶釜も狸の術によるものであったのだ。
正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意した。最後の別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せたという。
この説話をもとにして、昔話の『分福茶釜』が創作されたといわれている。

  

古道具集めが一番の趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に持ち帰る。 茶釜を見ると汚れていたので弟子の小僧さんに茶釜を磨くよう命じるが、洗っている途中に茶釜が痛がったので、和尚さんに報告する。 和尚さんは茶釜を水で満たし火に懸けたところ、何事もなかったので「雑念があるからだ」と小僧さんを叱る。 しかししばらくすると茶釜が熱さに耐え切れず動き出したので気味が悪くなった和尚さんはたまたま近くを通りかかった貧しい古道具屋に茶釜を売ることにする。 古道具屋はその夜奮発して鯛を買うが、食べようとしたところ鯛がなくなっていた。途方にくれる古道具屋だったが、茶釜を背負ったタヌキが「魚を食べたのは自分です」と白状する。 茶釜は仲間との化け比べで元に戻れなくなったタヌキが化けたものだった。同情した古道具屋はタヌキが元に戻れるまでの間家に泊めることにする。 タヌキはお礼に、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。この考えは成功して古道具屋は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話である。 近年ではその後、古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するが、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまう。 悲しんだ古道具屋は茶釜を引き取った寺で和尚さんに全てを話してタヌキを供養してもらい、茶釜は寺の宝として安置されるという結末も存在する。 月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「茂林寺の文福茶釜」。タヌキが僧に化けたという説に基いて描かれたもの。 茂林寺の伝説ではタヌキが守鶴という僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。


1963年 映画「喜劇 駅前茶釜」の舞台となる(出演・森繁久彌/伴淳三郎/フランキー堺/ジャイアント馬場等)

 
守鶴堂                             境内の至る所に信楽焼の狸が配置されている
守鶴和尚は大林正通大和尚と共に当地に小庵を結んで以来、歴代の住職に役僧として仕え、
分福茶釜を当山にもらたしたと伝えられている。当山鎮守大菩薩として祀られています

 

門前の土産や
  
様々な狸の置物が