「安禅不必須山水減却心頭に火自涼」 (あんぜんかならずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃすればひもおのずからすずし) 和尚の遺偈(ゆいげ)が掛けられている門 武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じましたが拒否され、 怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放つ、 天正十年(1582年)快川和尚、壮絶な火定(かじょう)遂げた際の一句
日本の古来の建築物に見られる、人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴る様につくられた仕組みを、うぐいす張りという。 外部侵入者の危険探知の為に設けられたのがはじまり。廊下を歩くと、うぐいすの鳴くような音が聞こえてくる
1573年、53歳で亡くなった信玄公はここに眠る。 命日の4月12日には毎年供養が行われており、 武田家家臣の墓約70基も信玄公を慕うかのように墓所後陣に並んでいる。
自らの出生が信玄公と同じ甲斐源氏の一族、武川衆であることを強く自負していた吉保公の想いをくんで、 柳沢家の大和郡山への転封にあたり、吉保公夫妻の墓所のみ、ここ恵林寺に設けられた。
国の名勝指定を受けている庭園。今日、恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、 夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名である。 700年近い歴史を経たその姿は、四季折々に違った情景をみせる。