武田信玄公を祭神とする。躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられている 新橋を渡り石段を登る 武田神社は武田信玄公を御祭神として祀っている 信玄は、我が国戦国時代きっての名将であり、大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、 天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えるが、21歳の時に国主となって以来30年余、 戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛された 武田神社鳥瞰図 秋の訪問時 紅葉が美しい
大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終える。 21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ね、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛された。 現在でも「信玄さん」と呼び敬慕の情を表し、郷土の英雄として誇っている。
「甲陽」とは、命名者 観世喜之師の座右の書で、甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」より引用されており、「甲陽」の意は甲斐の国の輝く様を表している。 武能とは、武田氏の「武」であり能楽の「舞」と同じ音につながり、古来より武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れたと伝えられている。 この武田の社に築かれた輝かしい舞台において、能楽を始め神楽また演武といった芸能が未来永刧演じられる事を願い命名された。