鞍馬寺・由岐神社(ゆきじんじゃ)
京都府京都市左京区鞍馬本町
1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となる
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名である
山号は鞍馬山。開基(創立者)は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされる
鞍馬寺は町の中ほど、鞍馬街道に面した仁王門から始まる
仁王門(山門) 門は俗界から浄域への結界とされている
明治44年の再建。左側の扉は、 寿永の頃(1182〜4)のもの。 両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶作と伝承
湛慶(たんけい) 鎌倉時代に活躍した彫刻家、運慶の長男作の仁王尊像をまつる
仁王門を過ぎると 観音・還浄水
ケーブル普明殿 (山門駅)
参拝者の利便のためのケーブル駅 由岐神社をパスし本堂へ行くことができる
昭和32年鞍馬山ケーブル敷設、鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一、宗教法人が運営し、2分で多宝塔駅に到着。
‘鞍馬の火祭’で知られる鞍馬の鎮守社由岐神社へは徒歩15分
由岐神社(ゆきじんじゃ)
鞍馬寺の鎮守社 由岐大明神は御所に祀られていたが、天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、
当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)御所の北方にあたる鞍馬に地に天下泰平と万民幸福を祈念し遷宮された
根が地表面でアラベスク模様を描くのは、この辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることが出来なかったため。
牛若も「木の根道」で兵法修行をしたと伝えられる。
「下に這う鞍馬の山の木の根見よ 耐えたるものはかくのごときぞ!!
平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔する。
その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されている
コースの頂上にあたる 後は貴船に向かい下りのみ・・・
僧正ガ谷不動堂と向かい合って義経堂
謡曲の鞍馬天狗が牛若丸と出会ったと言われる場所で、ここもパワースポットとなっている
奥州で非業の死を遂げた義経の御魂は、懐かしい鞍馬山に戻り安らかに鎮まっていると伝えられ、遮那王尊として祀られている
この辺りは、牛若が天狗に兵法を習った「僧正ガ谷」
不動堂
伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています
木の根道が終わる辺りより下り坂に
奥の院魔王殿
「魔王殿」は太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきた
「木太刀もて岩を斬りたる遮那王の やという声に似る歌無きか」 與謝野寛(鉄幹)
「太刀跡の岩 義経が裂きたるや 杜鵑の声が紋を残すや」 與謝野晶子