博 物 館 明 治 村
愛知県犬山市内山1番地

明治時代の建造物を中心に移築、保存、展示する野外博物館 重要文化財10件を含む60以上もの歴史的建造物が立ち並び、明治の雰囲気を楽しめる


到着が遅れ閉門1時間前   閉園のメロデーを聞くまで園内(一丁目)を駆け足で巡る
現在「博物館明治村」の正門として使われているこの門は、もと名古屋の旧制第八高等学校の正門

門柱は、赤いレンガに白い花崗岩を帯状に配して作られており、この構成は明治洋風建築によく用いられたものである。 また中央の両開門扉、脇門の片開門扉、袖柵は細い鉄材で作られ、軽快なものとなっている。

  
明治・大正時代には矢絣(やがすり)のお召と海老茶色の袴を組み合わせた衣装が女学生の間で流行し、「海老茶式部」と呼ばれた

  
一丁目内を見学  他は次回の楽しみに

  
牛鍋大井牛肉店 神戸市生田区

慶応3年(1867)神戸が開港、外国船が寄港し、外国人居留地には外国人の住宅が次々と建てられた。
これに伴い、外国人相手の商売が興り、船や在住外国人に牛肉を納める者達が出、その一人岸田伊之助が明治20年(1887)頃牛肉販売と牛鍋の店として建てた牛肉店。


三重県尋常師範学校蔵持小学校 三重県名張市

明治19年(1886)東京に高等師範学校が、又各県に一校ずつ尋常師範学校が設けられることになった。 明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられ、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていた。 明治村で保存公開されている三重県庁舎と同じ清水義八の設計となる。

  
近衛局本部附属舎

宮城警護のために設置された皇宮警察の庁舎の一部で、明治20年(1887)坂下門内に着工されたが、建設中に用途を近衛局(近衛師団と改称)本部に変更して翌年に完成した。 その後、師団本部は移転したため、皇宮警察本部がここへ移り、昭和42年(1967)まで坂下護衛所として使用した。


         近衛局本部附属舎     三重県尋常師範学校蔵持小学校 


聖ヨハネ教会 京都市下京区 (重文)

聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていた。 中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配された教会である。 正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が開けられ、室内が大変明るい。 構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られ、屋根には軽い金属板が葺かれておりこれは日本に多い地震への配慮とも考えられる。 また構造自体がそのまま優れたデザインとして外観・内観にあらわれている。

  



  
学習院長官舎  東京都豊島区

明治42年(1909)に建てられたこの学習院長官舎も洋館と和館とをつなぎ合わせた形式になっている。 学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いた。 立式生活の場である洋館は軒端が高くいかめしい造りで、洋風の下見板張の壁面には水切を兼ねた胴蛇腹が廻らされ、その上下に丈の高い上ゲ下ゲ窓が整然と並んでいる。 一方、座式生活の場である和館は、総二階建であるが、洋館に比べ屋根が低い。



西郷従道邸 東京都目黒区 (重文)

木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたものである。 西郷從道は、明治初年から度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢に居た人物で、在日外交官との接触も多かった。

  

 
「西郷山」と呼ばれる程の広い敷地内に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けた


 森鴎外・夏目漱石住宅  東京都文京区

明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごした。又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいた。 鴎外は、ここに移り住む同じ年の1月、処女作小説「舞姫」を発表、この家では「文づかひ」等の小説を執筆し、文壇に入っていった。

  

約10年遅れてこの家に住んだ漱石は、ここで「吾輩は猫である」を発表、文壇にその名を高めた。文中に描写された家の様子は、猫のためのくぐり戸をはじめ、よくこの家の姿を写している。 二人の文豪が相次いで住んだことは由緒のあることだが、この家が当時の典型的中流住宅であって、かつ現代住宅へ発展していく新しい芽がいくつか含まれている点も注目される。

   


三重県庁舎 (宮県津市) 重文
明治9年(1876)、県令岩村定高によって計画され、3年後の同12年に完成したもの

間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称になっており、正面側には二層のベランダが廻らされている。 構造は木造で、内外とも柱を見せない漆喰塗大壁で、屋根には桟瓦を葺いている。 正面に突き出した車寄の屋根には手摺をあげ、入母屋屋根の破風には菊花紋章を飾るなどして建物の正面を引き立たせる一方、 両翼の正面側の壁面角には黒漆喰で太い柱型を塗り出し、全体を引き締める役割を持たせている。 窓は全て上ゲ下ゲ硝子窓であるが、妻面の窓は他の部分と異なり、外に鎧戸が付けられている。

  
基檀、礎石、円柱、エンタブレチュアの構成は古代ギリシャ・ローマの神殿に由来するもので、出入口や窓も洋風が取り入れられ、半円アーチや円弧アーチの形が使われている

  
明治のくらし よろず体験コーナー     ・明治の時計

 
明治村が所蔵している明治時代から昭和時代にかけて使用 された"くらしの道具"を集め、実際に触れたり、体験できる展示をしている

 
・明治のくらし体験        今から約130年前の明治時代はどんなくらしをしていたのでしょうか?
明治時代のくらしを"あさ・ひる・ばん"とたどりながら、明治の生活を楽しく 体験してみることができる


二重橋飾電灯 東京都千代田区

明治11年(1878)には日本で初めての電燈がともされた。
鉄橋の両たもとに計四基立てられたものの一つで、橋とともにドイツで作られた典型的なネオ・バロック様式のものである。


鉄道局新橋工場 東京都品川区

 
明治天皇聖天皇太后御料車

 

全長16m余、総重量約22tの木製2軸ボギー車で、車内には帝室技芸員の橋本雅邦・川端玉章が描いた天井画、 昭憲皇太后のご実家一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張りに使用されているなど、華麗な内装がなされている。


閉園間近の正面口ミュージアムショップ