谷汲山 華厳寺 天台宗 
西国第三十三番満願霊場
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

「たにぐみさん」の愛称で親しまれる延暦十七年(798)に創建された。 正式には「谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)」といい、その山号と寺号は醍醐天皇より賜る。


寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人

  
参道は桜並木 両側には土産物の店が並ぶ

  
寺に続く門前町の参道は約350本のソメイヨシノが植えられ、春を美しく彩どる


京の都から観音像を奥州へ運んでいこうとすると、観音像は近くにあった藤蔓を切って御杖にして、御笠を被り、わらじを履いて自ら歩き出した。
途中、美濃国赤坂(現:岐阜県大垣市赤坂)にさしかかった時、観音像は立ち止まり、「遠く奥州の地には行かない。
「我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」
と、奥州とは異なる北に向かって歩き出しました。

谷汲の地に辿り着いた時、観音像は歩みを止め動かなくなった、この地こそが結縁の地としこの山中に庵を結び、堂を建てて尊像を安置した。 仁王門 入母屋造、三間の二重門。奥の間左右に仁王像を安置。その手前、通路の左右に巨大な草鞋が奉納されている

  

  
仁王門に掲げられた巨大なわらじ


秋には紅葉の名所として賑わいを見せる

  
右 納経所(寺務所)



  


本堂前の石段

  
本堂までの参道の両側にはいくつものお堂が

  
本堂石段眼には観世音菩薩の大きな銅像が


本 堂
  本尊は十一面観世音菩薩、脇侍として不動明王像と毘沙門天像(後者は重要文化財)を安置する(いずれも非公開)

   
1200年に渡り絶え間ない信仰を集めてきた霊験あらたかな美濃の名刹

   
本堂内陣の様子 参拝者が多い

  
本堂 (観音堂)   

御朱印は仏を示す梵字に蓮花台や火焔光背を添え、その上に「大悲殿」と墨書し、右肩には「奉拝」、左下には山号または寺号書き添える (「大悲殿」は観音霊場の一般例)朱印とはもともと寺院に教典を書写して納めた時に戴く受領書のようなものであった

     
本堂より笈摺堂への廊下に置かれた仏様と奉納額

  
地蔵尊に水で濡らしたお札を貼り付けお参りを

  
本堂横の回廊を回ると笈摺堂が
  
笈摺堂    
西国三十三霊場満願のお礼に笈摺(禅衣)をこのお堂に奉納

本堂背後にある小堂。当寺には花山法皇が禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したとされる。 この堂には今日も西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳等が置かれ、多数の千羽鶴が奉納されている。 千羽鶴は折鶴(おりつる)が笈摺(おいづる)にちなむことから奉納される。

  
子安観音堂
笈摺堂の左隣に建つ、安産・子宝祈願、赤子の身体健康を願い事を記したたくさんのよだれかけが奉納されている

  
本堂から裏手に進み、階段を三十三段上った先に建つ堂。本尊は十一面観世音菩薩。周囲には「満願」の文字の刻まれた狸の石造が並ぶ

満 願 堂
  
     西国三十三観音霊場の三十三霊場で結願・満願霊場として知られる
三つの御朱印は本堂(観音堂)・満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味するとされている

  
狸の石造が並ぶ


堂の回りには狸の石像が沢山


鐘楼

  
明王院の庭には涼しさを奏でる水琴窟の音色が


納経所(寺務所)





  
西国三十三観音霊場の結願・満願霊場の記念としての朱印軸や観音像が並んでいる


桜並木が続く参道