金 剛 峯 寺

豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称した
「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』
というお経より名付けられたと伝えられている

東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有している

 


昔、金剛峯寺とは高野山の総称であったが、豊臣秀吉が亡母追善のために建立した青巌寺の寺号を
明治元年に金剛峯寺と改めた。高野山真言宗四千寺の総本山

  
紋= 金剛峯寺の紋 (流水)と 豊臣家 (桐)の紋を並べる

  

  
金剛峯寺持仏間に安置される御本尊、弘法大師坐像は平成11年に行われた平成の大修理落慶大法会の際にご開帳されて以来、16年ぶりのご開帳
天和元(1680)年、検校文啓の指示で大師尊像が彫刻され、持仏間に安置されたいる

屋根は 桧皮ぶき、 屋根の上に天水桶を置き火事の時に備えて水を溜めていた(今は消火設備完備)     鐘楼                                         経蔵

  
寺域を区切るための設けられた築地塀

 
大広間                                                楓の間

  
新別殿の大広間     拝観者はここで休憩  干菓子をいただく  説法も・・・・・


蟠龍庭   弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇る

  
石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されている
龍を表す石は、大師誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています

  
東北復興を願って

  
六時の鐘            寺院前の大通りから見える
伽藍の入り口の高い石垣にある鐘楼、福島正則が父母の菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立した