古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。
南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三箇所三十番)がある。
竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。
竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。
ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている
滋賀県長浜市早崎町に属し、全島が針葉樹で覆われており、琵琶湖八景(深緑)のひとつにも数えられる。
島の周辺は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。
船着き場よりの景観 坂道の奥に宝厳寺への石段が望める
琵琶湖周航の歌の碑

船着き場より見た寺社 宝厳寺鳥瞰図

長い石段を登って宝厳寺へ
神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、
寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、
僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まり。

深さ230m(湖底130m)より汲み上げられた地下水

全国でも珍しい、現存する鎌倉時代の石塔

寺内最大の建物 宝厳寺本堂 (弁財天堂)
僧行基は、弁才天像を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観堂を建立し、千手観音像を安置した

本尊は60年に一回開帳

拝殿の両側に置かれた弁天像(御前立像)

三重塔 もちの木 樹齢四百年、豊臣家ゆかりの木
江戸時代初期に焼失したと言われ、約350年ぶりに復元された三重塔

三重塔前の石段よりの眺め 石段を下り観音堂へ

国宝の唐門
豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されている。慶長七年(1602年)には、
太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。豪華絢爛といわれた桃山様式の唐門の代表的遺構、
450年前、豊臣秀吉が寄進しました伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、国宝となっている
本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されている