石 山 寺

滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基は良弁 京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三箇所観音霊場第13番札所となっている 『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。 「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。


東大門前の広場に建つ碑
石山寺は、琵琶湖の南端に位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある


「東大門」は古寺にふさわしい堂々とした造りであり重要文化財に指定されている
建久元年(1190年)に源頼朝の寄進により建てられたとされ、その後、慶長年間に大修理が行われている

  
仁王門の金剛力士像

  
参道
東大門からまっすぐに伸びる参道の両側には霧島つつじが植えられている。また春は桜、秋は紅葉で美しく彩られる



  
大理石の奇岩を潜り抜け、石と寺とのかかり合いに思いを馳せる

  
参道奥の階段より本堂に向け登る              頭上に見える懸崖造りの本堂


蓮如堂
硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の建物。三十八所権現社の拝殿として建てられましたが、蓮如上人が祀られるようになった

  
御影堂
真言宗の開祖弘法大師、石山寺開基の良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂
単層の檜皮葺で、内部は室町時代初期の様式となっている

  
毘沙門堂
兜跋毘沙門天への厚い信仰から安永2(1773)年に建立されたお堂で、兜跋毘沙門天を本尊としている

  
観音堂

 
三万六千坪におよぶ広大な境内には、日本唯一の巨大な天然記念物、世界的にも珍しい硅灰石がそびえている
硅化石の岩の上に建つ多宝塔


硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、
石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されている

「石山」という名称はこの硅灰石に由来している

  
本堂は珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている

  


本尊は縁結・安産・福徳の霊験あらたかな秘仏 如意輪観音菩薩

滋賀県最古の木造建築物とされており、内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7 (1602) 年淀殿の寄進により増築されたといわれています。 本堂内陣に安置されるのは、安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰を集める本尊如意輪観世音菩薩。 日本で唯一の勅封の秘仏で、御開扉は33年毎です。相の間には、紫式部が『源氏物語』を起筆したことにちなむ「源氏の間」があります。

  
紫式部が世界最初の長編小説『源氏物語』を執筆した「源氏の間」がある

平安時代には、宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごすのが流行りました。 紫式部はここに参籠して「源氏物語」の想を練り、また、清少納言、和泉式部、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、 『更級日記』の菅原孝標の女なども石山寺のことを日記や随筆に記しています。石山寺は、芸術家や文人たちに深い感応を引き起こし、 女流文学の開花の舞台となりました。その後も、松尾芭蕉や島崎藤村をはじめ、石山寺を慕う文人たちを多く集めています


硅化石の岩の上より下を眺める

  
多宝塔
国宝の多宝塔、重要文化財の東大門、鐘桜など、奈良、平安、鎌倉時代からの文化財が多数伝えられている

源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多宝塔。下重が大きく、上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優美な姿で、 日本三大多宝塔の一つです。本尊は大日如来です。


本尊は大日如来


多宝塔横の見晴台より瀬田川を見る

  
左 鐘楼                     大湯屋
重層袴腰、檜皮葺の入母屋造で、様式などから鎌倉時代後期の造営と考えられている
上層に吊るされた梵鐘は平安時代を降らないもので、重要文化財に指定されている

  
大黒天堂 と庭園
石山寺大黒天は万寿元年(950年前)に、ご本尊は3人の僧の夢のお告げにて湖水より出現した。
室町時代(約650年前)秘仏ご本尊の前にお前立ちの仏様が建立されました。

  


東大門前には土産店が並ぶ


瀬田川に沿った寺の前の街道よりの眺め


石山秋月
浮世絵師・歌川広重によって描かれた錦絵による名所絵(浮世絵風景画)