鶴ケ城公園
福島県会津若松市追手町1-1

鶴ヶ城は日本唯一の赤瓦天守閣で平成27年(2015)4月に再建50周年を迎え、天守閣博物館を一新した 春には約1000本のソメイヨシノが開花し、「桜の名所100選」に選ばれている 堀や土塁は約400年以上前から残り、城郭全体が国の史跡に指定されている


地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言うが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い,
旧称である黒川城または単に会津城とされることもある
国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている

  
拡大鶴ケ城マップ


桜は未だつぼみ 満開時の華やかさが・・・・

  
会津若松市のシンボル鶴ヶ城
数多くの戦国大名が治め、幕末の戊辰戦争でも有名なこの城は、明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に幕末の姿であった5層の天守閣に復元された

平成13年には南走長屋と干飯櫓が復元、平成23年には赤瓦葺替修繕工事が完了し、幕末の鶴ヶ城の姿に生まれ変わる 天守閣内は博物館として貴重な資料を展示

  
城の周りに広がる公園は石垣や桜が美しく、市民にも人気の高いスポットとなっている

  
天守への入場券売り場                     観光キャラクター(お城ボくん)                     天守閣入口



  
会津の郷土玩具                     武具が展示

  

  
天守閣最上階より眺望


飯森山方面を望む

  
鉄門(くろがねもん)
鉄門は帯郭から本丸へ通じる表門で、柱や扉は全て鉄で覆われ、この名がある
加藤明成の大改修によって造られた門で、左右の石垣は化粧たがねが入れられ、切込ハギと呼ばれる工法で築かれており、お城の正面玄関にふさわしい姿です。

  
千家ゆかりのお茶室「麟閣」

秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでた。 この恩義に報い少庵が建てたのがこの「麟閣」と伝えられる。その結果、少庵は許され、京都へ帰り千家を再興することができた。

  

  
公園内に稲荷神社