天台宗 別格本山
宝積山 光前寺 
駒ヶ根市赤穂29番地


本堂   本尊 : 不動明王(秘仏)  参拝者が多くいつ来ても香を焚く煙が立っている

  
仁王門
仁王門から両側に石垣が続く参道は杉並木が続き、厳かな気持ちにさせてくれる

  
参拝者に朱印を授けやすいように参道に・・・朱印を受ける人が多くなったようです


石垣と杉の巨木が続く参道


参道に続く石垣の石と石の間、本坊客殿の縁の下の一部などに、光苔がわずかながら自生している
日の光を反射して美しく神秘的な光を放つ   四月中旬から十月までの時期に限られる

  

三門

 
見事な杉の巨木が並ぶ
 
  
左:経蔵
多くの経巻とともに霊犬早太郎報恩のため奉納された、大般若経六百巻を所蔵。唐破風造りの向拝の建築様式で享和二年(1802年)再建


不動明王および八大童子をまつる祈願霊場。入母屋唐破風造りこけら葺きの建築様式。嘉永四年(1851年)再建。

  
堂内には奉納された木彫りの早太郎像も

   
本堂前を左に進と早太郎の墓・三重の塔

  
見事な三重の塔

 
早太郎の像と三重の塔                                 早太郎の墓

    

霊犬 早太郎伝説(れいけん はやたろうでんせつ) 今よりおよそ700年程も昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていた。 その頃、遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社では田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、 生け贄として神様に捧げる人身御供という悲しい習わしがありました。 ある年、村を通りかかった旅の僧である一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は、神様がそんな悪いことをするはずがないと、その正体をみとどけることにしました。 祭りの夜にようすをうかがっていると、大きな怪物が現れ『今宵、この場に居るまいな。早太郎は居るまいな。 信州信濃の早太郎。早太郎には知られるな』などと言いながら、娘をさらっていきました。 弁存はすぐさま信州へ向かい、ようやく光前寺の早太郎をさがし当てると、早太郎をかり受けるて急ぎ見付村へと帰りました。 次の祭りの日には、早太郎が娘の代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。 早太郎は化け物との戦いで傷を負いましたが、光前寺までなんとか帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまいました。 本堂の横に、早太郎のお墓がまつられています。 また、早太郎をかり受けた弁存は、早太郎の供養にと《大般若経》を写経し光前寺へと奉納いたしました。 この経本は現在でも、光前寺の宝として大切に残されている。


南信州唯一の三重塔で塔内に五智如来を安置
高さ五丈六尺四寸(約17b)。立川和四郎の手による美しい彫刻が施されている。文化五年(1808年)再建

  


鐘楼 : 大梵鐘は、重量三百六十貫(1340`)。昭和35年に当山開基千百年記念に再建。