松 本 城
長野県松本市丸の内4-1

安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている 松本城と呼ばれる以前は深志城といわれ、市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている


戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている

    

  
明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定される(昭和27年再指定)姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつ


典型的な平城。本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されている
南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである
これらは全て水堀により隔てられている。現存12天守の中では唯一の平城


5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である
大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は、2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている



  
連結複合式天守
天守のうち、大天守・渡櫓・乾小天守のまとまりを連結式天守と呼び、戦いの多い時代に造られたため、石落しや狭間が多く、窓は少なく、守りやすくなっている
大天守・辰巳附櫓・月見櫓のまとまりは複合式天守と呼び、平和な時代になってできたため、戦うための備えがない。二つの形式を合わせ連結複合式と呼ばれる

  
太鼓門                                                                                   入場券購入所


お城の見学と博物館(次回に)見学が


黒門   本丸への入り口
本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門」と呼んだと考えられる

  


天守への入口は渡櫓より

  
渡櫓の入口より場内に           さすが国宝の城!!

  
天守には急な階段を上って

 
天守二階は多くの資料が

  
武具甲冑類が展示

  
鉄砲頭と当世具足

  
天守六階 

  
天守三階より本丸跡庭園を観る

  
月見櫓より出口へ


月見櫓下より天守閣を見上げる


松本城保存の功労者の顕彰碑