長野県護国神社
松本市美須々6−1

昭和13年(1938年)に長野県招魂社として仮社殿で創建され、昭和14年(1939年)に長野縣護國神社に改称し、同年4月1日に内務大臣指定護国神社となる 昭和17年(1942年)社殿・社務所などが竣工した。


第二次世界大戦後の一時期、「護国神社」の名称では軍国主義施設と見なされるということで、存続を図るために信濃国の枕詞に由来する「美須々之宮」に改称していた


昭和32年(1957年)、神社本庁の別表神社に指定される

  
長野県出身の明治戊申に駅以後の大東和戦争に殉ぜられた英霊を祀る
近所の保育園の子供達が初詣に来ていた

  
社務所      ご祈祷・お祓いを受け付けている  御神印を頂く

  
境内の広さは34u、樹木は県内市町村よりの献木、四季の変化を細やかに映し出す「美須々の森」

  
拝 殿  左奥に本殿が

  
平成26年奉納  甲午歳大絵馬
「墳墓之地」 先祖代々が住んでいた地    古荘風穂 作


拝殿の奥に本殿の屋根が見える

  
広々した境内  参拝者はもちろん市民の憩いの場としても親しまれている