刈萱山 西光寺 かるかや山
長野市北石堂町1398
長野市の中心街にあり、開祖・刈萱上人とその御子信照坊道念(幼名石童丸)のお2人が刻んだ2体の「刈萱親子地蔵尊」を御本尊として安置しいる
宝永4年(1707)善光寺現本堂建立のおり、普請支援の功績により、善光寺仮堂が当山に寄付され、当山 本堂となった
中央通りからの参道に並ぶ六地蔵尊
本尊が祀られ、絵解きが行われる
絵解きとは、説教・唱導(仏の道に導くため、教えを説くこと)を目的とする、宗教者による絵画を用いた文芸・芸能。
そのルーツはインドにあるとされ、中国、朝鮮半島から、日本に伝わって来た
本尊:木造苅萱親子地蔵尊像(来迎地蔵尊像)
苅萱道心・石童丸御親子が、子授け・子育ての願いを込めて彫られた親子地蔵尊で、
右手に杖、左手に宝珠を持ち、両袖を風になびかせた来迎地蔵尊像で、長野市重要文化財に指定されている
正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建てる
大師堂(園通殿) 弘法大師をお祀る、苅萱親子とのご縁も深いお堂
善光寺七福神 第一番 寿老人像
福徳・財運・長寿の神とされ、広く信仰されている
中国は宋の人で、南極老人星の化身とされ、右手に巻物を巻き付けた杖を、左手に不老長寿の桃を持っている
境内には、400年以上前に建立された開山かるかや上人、中興石童丸上人、その母千里御前の墓石三塔が祀られている
その石塔が、専門家の調査の結果、長い年月を経たため劣化し、倒壊の危険性もあることが判明
早急な修復保全の必要性が指摘され、現在修復工事が行われている
信濃最古の芭蕉塚 雪ちるや穂屋のすすきの刈残し
寛保3年(1743) 芭蕉翁50回忌法要の際に建立された