松代
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真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校
真田宝物館
真田家12代目当主孝治氏が先祖伝来の武具・美術・調度品・資料などを展示公開する宝物館
10万石の大名松代真田家に代々伝えられてきた衣装や調度・美術品のほか、大名道具を公開している
昭和41年、12代当主・幸治より松代町に伝来の道具類が一括譲られ、これを契機に真田博物館を開館
真田昌幸の昇梯子鎧や石田三成から送られた書状などの貴重な品々を収蔵している
脇差し 四挺付鉄砲
六連銭家紋の付いた什器
幕末の奇人 佐久間象山
素晴らしい屏風
真田邸
9代藩主真田幸教が母貞子の隠居場所として建てた大名屋敷 で花菖蒲や桜など色鮮やかに咲く自然豊かな広大な敷地が。
長土塀・屋敷門・長屋・白倉など旧大名屋敷の様式を残す貴重な史跡
修復中の真田邸
庭園は、京都の公家の屋敷の庭園を模したといわれていますが、はっきりしたことは分かっていない
建物の建面積は1346平方メートル(約408坪)で、一部2階建てとなっている
庭は小堀遠州の流れをくむといわれ心字 池があり、幸教によって「水心秋月亭」と名付けられた
松代藩文武学校
この学校は、松代範の藩校として八代藩主真田幸貫が、水戸の弘道館に範をとって藩校を計画し、九代藩主幸教がこれを引き継いで嘉永6年(1853)に完成、安政二年(1855)に開校したもので、
明治に入り兵制士官学校を併設したが、明治四年(1871)廃藩と共に閉校となった。
他藩の藩校と違い、儒教の教えを排除した点にある。そのため構内に孔子廟がない特徴を持つ。
この学校での教育は、藩士に対し文学(学問)と武道の両道をめざし、漢学・国史・剣術・総術・柔術・弓術をはじめ、
特に西洋医学・西洋砲術を教育したところに時代を先取する気風がうかがえ、後に幾多の人材を輩出している。
明治六年から松代学校校舎などに使用され、正庁(文学所・御役所)・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門および槍塀などの建物が残っており、
昭和48年より五ヶ年かけて保存修理と腰塀土塀などを復元施工し、現在残る建物群は開校当時の姿をほぼそのまま伝えている。
また建築も簡素で、近代的学校建築への過渡期と言えるで、全国的に見てもまれな藩校の姿を伝えている。
文学所
文学所廊下 文学所内部
廃藩置県後は近代の学校として使われ、松代小学校の校舎にもなった。昭和28年に国の史跡に指定され、54年からは一般に公開される
小生子供の頃一度小学校を訪れ畳み敷きの廊下を歩いた記憶があります。
松代藩 10万石当主
槍術所内部
車止めにも六連銭
真田公園