諏訪 高島城
長野県諏訪市高島
別名諏訪の浮城、島崎城とも呼ばれる

城郭の形式は連郭式平城で、諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城と呼ばれていた、 江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われる しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている

  
堀と石垣   明治維新で城の建物は取り壊されましたが、本丸部分は残され
石垣は江戸時代に何度か修理を受けているが、築城当時と見られる部分も残っている


冠木門   本丸の表門にあたり、楼門が復興される。両脇の石垣上に設けられた武者溜りが特徴

  


角櫓  復興された櫓の一つ、内部は茶室として利用されている

ミヤマキハダ  角櫓の近くにあり、高島城の時代に薬用として植えられていた木の名残とされている 樹齢は約120年で、市の天然記念物に指定

  
庭園    現在庭園になっている場所には本丸御殿の建物が立ち並んでいた

  
高島城亀石(水をかけると亀が生きているように)                     石集配湯枡(引湯のため分配用の湯枡)


天 守 
明治8年に取り壊された天守は、昭和45年に復元され、内部は資料館と展望台になっています。南側に付属していた小天守の天守台も見ることができます


2階は高島城ゆかりの資料を展示する資料館
「築城」「藩主」「藩士」それに「藩政」の4つのテーマを設け、それぞれ関係する貴重な資料を展示している



  
藩主が用いた調度品や藩主の手による文芸作品、藩士の使った武具類、また藩政に関する重要な古文書類など、高島城や高島藩の当時の様子を展示

 
江戸時代の高島城の様子を描いた古絵図の写真や、幕末の高島城を再現した模型なども展示

  
最上階からはかつての城の堀だった諏訪湖や、天候がよければ遥かに富士山の美しい姿を見ることができる





  
川渡門跡
本丸の諏訪湖側に面した場所に設けられていた門、現在、三之丸にあった御殿の裏門がこの場所に移築されている

    


諏訪護国神社
明治35年に諏訪招魂社として設立され、明治〜昭和の戦没者を祀っている



  


復元天守閣概要: ■延面積 381u ■高さ 20.2m(含鯱1.7m)、三層 ■鯱 高さ 1.7m、重さ250kg ■天守台 12.54m(石垣) 明治の廃城と高島城復興  明治維新を迎え、旧支配体制の象徴である高島城は破却されることになった。 明治3年頃から城内の建物が順次払い下げられ、天守も明治8年に取り壊された。 破却後、本丸跡が「高島公園」として開放されましたが、それ以外は市街地化してきた。 昭和45年、市民の熱意によって天守が外観復元され、門や櫓などもあわせて復興された。

花の高島城