城郭の形式は連郭式平城で、諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城と呼ばれていた、 江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われる しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている
ミヤマキハダ 角櫓の近くにあり、高島城の時代に薬用として植えられていた木の名残とされている 樹齢は約120年で、市の天然記念物に指定
復元天守閣概要: ■延面積 381u ■高さ 20.2m(含鯱1.7m)、三層 ■鯱 高さ 1.7m、重さ250kg ■天守台 12.54m(石垣) 明治の廃城と高島城復興 明治維新を迎え、旧支配体制の象徴である高島城は破却されることになった。 明治3年頃から城内の建物が順次払い下げられ、天守も明治8年に取り壊された。 破却後、本丸跡が「高島公園」として開放されましたが、それ以外は市街地化してきた。 昭和45年、市民の熱意によって天守が外観復元され、門や櫓などもあわせて復興された。