八日堂 信濃国分寺
天台宗
上田市大字国分1049
本尊は薬師如来。山号・院号はないが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と言った。また八日堂の別称がある。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたる
仁王門
R18に面して建つ仁王門 本堂までは坂道を登った奥 国道の激しい車の往来は嘘のような静かさ、参道への入口を気づかずに通りすぎる
律令制度の崩壊にともない国家の保護が失われた国分寺は、衰退に向かったと思える。現境内地には鎌倉期の石造多宝塔や五輪塔が存在し、
また源頼朝が堂塔の再建を誓願したとの寺伝にあるので、鎌倉期以降に現地での復興が始まったよう
蘇民将来符
本尊は薬師如来
八日堂の名は信民間信仰である蘇民将来信仰も取り入れらレ、この信仰に基づく蘇民将来符は現在でも有名である
大黒天堂 輪王寺一品親王作と伝える尊像をまつる
室町時代には最古の建物である三重塔が建立、地域民衆の信仰の中心となり、八日堂縁日の市は当地方の交易の場ともなった
三重塔は高さ20.1メートル
鐘楼 享和元年(1801) 梵鐘は昭和27年再鋳 優雅な天人模様が刻まれている
地蔵堂 郷土の名彫物師藤川仏師による地蔵尊と閻魔十王を安置
観音堂 江戸初期の百体観音像を安置する
建物の横幅一杯に並べられた百体の観音像