米子大瀑布の紅葉
深山幽谷の壮大な自然はまさに「秘境」
根子岳と四阿山をそれぞれの源流に、静寂な谷あいに轟音をたてて流れ落ちる不動滝と権現滝
この二つの滝が有名なのは、日本有数の「夫婦滝」のためと言われ、男滝は「権現滝」で、
水量が多く真っ直ぐな直瀑。女滝は「不動滝」で、水量が少なく霧状に流れる落ちる姿が女性的。最近では「恋人滝」とも言われている
一帯は山岳信仰の聖地とされてきていて、この滝は古くから修験者の禊ぎの場とされ、夏になると行者の姿が見られる
権現滝と不動滝という二つの滝からなる。いずれも直瀑で、落差は権現滝が75メートル、不動滝が85メートルある
これだけの落差の滝が二つ並ぶというのは日本国内において珍しい。両滝の水は周辺の渓流を合流させ、
須坂市内を北西へと流れ、千曲川(長野県内における信濃川の呼称)に注ぐ

権現滝
(画像クイックで拡大可) 不動滝

不動滝」は滝下まで遊歩道があり、飛沫を浴びながら下から眺めることが出来、また下流にも滝が続いている

米子不動尊滝山寺の奥の院
滝の下にある米子不動尊は、「米子のお不動さん」として庶民の信仰を集める日本三大不動尊の一つで、
今でも修験者の水行の霊場としても知られています。
奥の院から展望台へ

不動尊滝山寺の奥の院から展望台へ
「不動滝」と「権現滝」を同時に眺めることが出来、絶好のビューポイントとなっている

滝は北向の断崖に懸かるので逆光になり撮影には苦労する

早朝の風景 こんな状態の時に再訪問したい 資料より

旧米子鉱山跡の裏山
米子大瀑布と米子川をはさんで対岸にある台地は、旧米子鉱山の跡地で、米子大瀑布の絶好の展望台となっている

米子山には寛保3年(1743年)から始まったと言う米子硫黄鉱山があった
米子鉱山は、標高1500から1600メートル付近に位置し、山の奥深い山峡に位置したことから、
昭和9年に中外鉱業株式会社が本格的な営業採掘を始め、昭和11年には中外硫黄株式会社となり操業を行った。
このころ時代は、日清、日露、世界大戦を迎え、硫黄が爆破火薬の材料にされたことから生産量が増え月産1200tを生産し、
鉱山関係者1500人が生活していたと言われる。
戦後を迎え硫黄の需要が減少、生産コストも高くなり、石油化学工業の発展にも影響され、年々後退し昭和35年に閉山された。