この神社は、もとは健御名方命・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神を祭り、笹焼大明神と呼ばれ地域の崇敬を集めていた。 文政元年(1818)に柳原神社と改称し、明治42年に誉田別命(ほんだわけのみこと)を合祀。 いまも笹焼神社(あるいは左善焼神社)と呼ばれ親しまれている。善光寺七社の一つ。