山 寺 「立石寺」
宝珠山立石寺 芭蕉の風景に会いに行こう
山寺の信仰
山寺立石寺は、平安時代の初め慈覚大師によって開かれた山で、広くこの地方の宗派をこえた信仰を集めている。
この地方では死者が出ると遺骨の一部を立石寺奥の院・納骨堂に納め、供養をしてもらう風習がある。
夜行念仏や磐司祭で奉納される獅子踊りも、先祖の供養の色合いが濃い。
宝珠山 立石寺全図
登山口
所要時間 ・せみ塚20分 ・仁王門30分 ・奥の院40〜60分
根本中堂 国の重要文化財。東北唯一の宗門修行道場で、ブナ材の建造物としては日本最古ともいわれる
堂内には1000年以上火を灯し続けている法灯がある。これは伝教大師が中国から比叡山に
移した灯を立石寺に分けたもので1100余年の間不滅の光を放っている。
日枝神社 山寺の守り神を祀ったもの 念仏堂 慈覚大師が念仏三昧の法を修めた修行道場
芭蕉の句碑
元禄二年(一六八九)には、俳聖松尾芭蕉が門人の河合曽良とともにこの地を訪ねた
芭蕉 曽良(芭蕉の門人)
鐘楼・奥が念仏堂 山門・奥の院への登山口
奥の院まで1,015段の石段が続く 途中の姥堂
階段を登る度汗が顔からポタポタ落ちるが、木陰に入ると風の冷たさが心地よい
修行者の参道 途中には多くの塚や祠がある
境内地の参道石段は、立ち並ぶ句碑や板碑とともに苔むして、老杉や怪石の間には
たくさんの堂塔が建てられ、千古の静寂をたたえている
多く見られる洞 せみ塚
松尾芭蕉が山寺で読んだ句をしたためた短冊をこの地に埋め、石の塚をたてたもの
弥陀洞
もう少しで仁王門
山寺山内の特有である凝灰岩の岩肌には、板碑型の供養碑がきざまれ、各所にある洞窟、岩陰には多数の木製小型五輪塔、
こけら経、笹塔婆、千体仏、小型板碑などがなかば土に埋もれて納められている。 このようなことから山寺に、
古くから庶民信仰の山、先祖供養の山として栄え、天台宗の名刹よりも、むしろ死後の魂のかえるべき山として信仰の対象となり、
この地方の多くの信仰をあつめたものである。
仁王門 嘉永元年(1848年)に再建されたケヤキの門で、 観明院
左右には仁王尊像が安置されています。
奥の院 と 大仏殿
奥の院は通称で、正しくは如法堂という。 明治4年火災にかかり翌5年優田和尚が再建した。
本尊は慈覚大師が国々を巡錫される時、いつも背に負うていられた三国伝来の釈迦牟尼仏と、多宝如来の座像で、
左右には多聞天、持国天、それに三十三番神、十羅刹女を安置する。
大仏殿(左)は奥の院に付設し平成三年にが建てられた。
納経堂 通称百丈岩の頂上に立っている。慶長四年(1599)山形城主最上義光が蓑和田讃岐守に命じて建設させた。
納経堂のうしろは、入定岩、百丈岩ともよばれ、慈覚大師の入定窟が有り、中に慈覚大師のご遺骸を金棺に納め安置されている。
開山堂 慈覚大師の御廟で、「常香」が一千一百有余年絶えることなく今日もなお香煙を遷わしている
五大堂と舞台からみた山寺の街並
宝珠山を守る五大明王が安置され、天下泰平を祈る道場である。堂の舞台からの景色の眺めは素晴らしく、山寺随一の展望台。
観明院の奥釈迦ケ岩に建つ釈迦堂
名物「力こんにゃく」 良い味でした