バン・パイン離宮
タイ王室の夏の離宮
チャオプラヤー川の中州に建てられたきらびやかな宮殿
バン・パイン宮殿は、1637年アユタヤ王朝第24代のプラサート・トーン王によって建設され、歴代の王たちの夏の離宮として使われました。
1767年のビルマ軍の侵攻後は放置されていましたが、チャクリ王朝のラーマ4世と5世によって再造営されました。
現在も王室の住居であり、迎賓館の役割も果たしています
入り口の表札 入場には服装のチェックが厳しい・・・・ミニスカートはだめ
タイ様式をもとに中国風やヨーロッパ風のデザインを取り 入れた一種独特の様式美を持つ建物が多い
1876年、ラーマ4世によって建設された、池の上に建つ離宮です。大量の黄金が使われており、太陽の光に反射して輝いて見える
手前の真っ赤なブーゲンビリアの花との対比がお気に入り
式の建物など様々な建物が敷地内に建てられています
白亜の建物と真っ赤な花.水面に映る影に心が静まります
中国風の建物 (明天殿) ラクダの骨の彫刻が有名一見象牙の彫り物と見間違える
芝生の刈り込みにも象の親子が
バン・パイン宮殿ではルネサンス様式やロココ様式、中国様式の建物が
日本人街跡
14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった日本人町
15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった
長政の像がある記念館 土産物店がある
古都アユタヤに生きた日本と関係する2人の人物(山田長政とターオ・トーンキープマー)にスポットを当てた展示館
山田長政の像
日本人街の記念碑の前で 17世紀前半には1500人 もの日本人が住んでいたと言われている
日本人街西隣にはチャオプラヤー川が流れている対岸にタイ特有の高床式の民家が見える
チャオプラヤー川の辺りにある古都アユタヤに流れ着いた日本人達が遠い故郷の日本を思い眺めたとされる船乗り場
16世紀以降活発になる西洋の植民地政策が日本に及ばなかったのは、日本が世界でも有数の鉄砲所有国であったためとされている、
加えて実戦経験が豊富な人も多く、当時アジアにおける貿易拠点だったアユタヤにおいては傭兵として積極的に雇われていた。