ローマ(Roma)世界遺産
永遠の都、バロックの劇場とも言われる
古代の遺跡、数多くの歴史の舞台となった建造物、芸術家達の偉業を語る美術館
現在の街並みにとけ込んで訪問者達を喜ばせてくれる
コロッセオ
ローマ帝政時代、紀元80年に完成した円形競技場
古代ローマを象徴する建築物。「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」として世界遺産に登録
全体の形は楕円形で、直径188メートル、短径156メートル、高さ48メートルに及ぶ
コロッセオの建設者がフラウィウス朝の皇帝であったことから、正式名称は「フラウィウス闘技場(または、「フラウィウス円形闘技場」)」と名づけられたが、
ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が置かれていたことから、次第に「コロッセオ」と呼ばれるようになり、現在に至っている。
古代ローマの巨大な円形闘技場 2000年も前にこれだけの建築物を完成させた情熱は・・
人と猛獣の死闘や命を賭けた剣闘技が繰り広げられた
観客席が4階、地下に出場動物の檻や倉庫が舞台は板が敷かれ、
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流れた血が吸い取られるよう砂がまかれていた
パンティオン
ミケランジェロが「天使の設計」と賞賛したローマ建築神殿。2000年も昔の神殿が今も完全な形に残っている。
パンテオンという言葉には「万神殿(あらゆる神を祭った神殿)」という意味がある
パンティオンは古代ローマの神殿が当時のままの美しい姿でのこり、堂内に入るとその空間は威厳に満ち圧倒される
球体の頭頂部は四角い箱で覆わずに、三角屋根の陰からのぞかせるようにしてあり、
てっぺんにぽっかりと穴を開けてある
この穴が建物の内部空間に与える影響は絶大であり、実に圧倒的で全てがこの穴のためにある、
またはこの穴がパンテオンの真骨頂であると言ってもいい
穴から射す太陽の光を見ているだけでも何とも言えない感慨に浸ることができ、何時間でもここに居たい、という気分になる
建物の形状はを○△□の組み合わせと言え、巨大な球体を、それがすっぽり入る立方体に収め、更に前面に三角屋根を取り付けると、
この建物のおおよその形ができる
トレビの泉
ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)である。ローマでも有数の観光名所として賑わっている。トレビの泉、トレドの泉とも呼称される
古代ローマでは、大きな水道の末端放水口に人目を引く噴水を作る風習があった
異民族の侵入により破壊され今の姿に再建されたのは300年が過ぎた1762年になってのこと
元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたもので、ヴィルゴ水道の終端施設としての人工の泉が場所を替えた後、今の位置になった
後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされる。
コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われる。
3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りである。このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付される。
真実の口
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の教会の正面柱廊の奥に飾られている
大理石に彫られた元々は下水溝のマンホールの蓋であったといわれ、海神トリトーネの顔が刻まれている
手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる、手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある
映画『ローマの休日』では、グレゴリー・ペック扮する新聞記者のジョーがオードリー・ヘプバーン演じるアン王女を驚かそうとして、
伝説に基づき悪ふざけで「真実の口」に手を入れて、抜けないという演技をした。
このときうぶな王女はそれを真に受け、恐怖のあまり叫び声を上げ、あげくに泣き出してしまった。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 教会内の礼拝堂
スペイン広場
映画「ローマの休日」であまりに有名なスペイン広場
近くにスペイン大使館があったことから、この名が付けられました。人々の憩いの場であり、常に多くの人々で賑わっている
18世紀頃よりローマを訪れる外国人のたまり場となった観光客の姿が絶えず、1年中賑やかとのこと
トリニタ・デイ・モンティ教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」
階段下の広場中央のバルカッチャ(船)の噴水
ナボーナ広場
ローマにある広場で1世紀にドミティアヌス帝が造らせたドミティアヌス競技場が元になっている
3つの噴水が並ぶナヴォーナ広場 南側のムーア人の噴水(四大河の噴水)
美しいバロックの広場 (長径260m短径50mの細長い楕円形の広場)
4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像の噴水型のオベリスクがある
これらの彫像は、バロック時代ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって造られたもの
オベリスクの前に立つエジプト王の衣装を着けたマネキン
水道橋
ローマ市内各所に残る水道橋の遺跡
パラチーノ橋
橋の上より古代の橋の橋脚とティベリーナ島 ティベリーナ島も通り抜けました、島には病院が二つ
アルジェンティーナ神殿跡
紀元前300-400年頃の古代ローマ遺跡
(市街地の各所に遺跡が見られる横が路面電車の始発駅)
倒れた石柱、朽ちかけた赤レンガの壁など、遺跡好き・廃墟好きにはたまらない魅力的なスポット
ローマ中央に位置しており、人気観光スポット・ラファエロが眠る「パンテオン」の近く
フォロ・ロマーノ
紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であった
ローマ帝国が東西に分裂し首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、
西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった
古代遺跡の密集地帯 散策して古代遺跡のロマンに酔いしびれたいが、ツアー観光の悲しさ・・
フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、
遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のものである。