聖人は鳥屋野の草庵から山田にもお念仏を伝えにお越しになっていました。 建暦元年十一月、流罪をゆるされた聖人は、鳥屋野の草庵を出立され、見送りの信徒と共に山田で別れの宴を催されました。 その折、信徒の一人が焼いた鮒を聖人に献じました。聖人は、つけていた袈裟を傍らの楠の木にかけ、 「わがが真宗のみ法、仏意にかない 念仏往生間違いなくんばこの鮒 かならず生きるべし」とおっしゃり、 この焼いた鮒を近くの山王神社境内の池に放されたところ、不思議にも鮒は生き返って泳ぎ出したと伝えられている。 それ以来、この付近の鮒には、焼いた跡のように色が黒く残っているとのことです。 また、寛政八年、山王神社境内の大楠の枝が大風のため折れてしまったので切ったところ、切り口に親鸞聖人のお姿と焼き鮒の形が現れました。 人々は聖人の偉徳の現れとして山王神社の神官田代家に安置し聖人を偲ぶようになりました。