明治28年(1895年)平安遷都1100年を記念し、平安京大内裏の正庁を模して造られた。 本殿の裏に広がる広大な神苑は、東苑、中苑、西苑、南苑の4つに分かれた回転式遊苑で、 明治・大正期の庭園の傑作とされています。祭神は恒武天皇と孝明天皇(昭和15年に合祀)です。、明治維新によって首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与え、幕末の戦乱で市街地は荒廃し、 京都の衰退ぶりは目を覆うものがあった。 その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と 全国の人々の京都に対する「思い入れ」であった。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、 生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれ、 熱意と一連の町おこし事業が平安神宮が創建されました。 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を 後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。 その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、 第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として 広く崇敬を集めることとなりました。 応天門 (神門) 大きく赤く光る朱で全ての人の目をくぎ付けにする 手水 虎と龍
伏見稲荷 |