鎌 倉 大 仏
大異山高徳院清浄泉寺
露座の大仏は暦仁元年(1238)に着工し、6年後に完成した。当初は木造であったが宝治元年(1247)、台風で倒壊。
建長四年(1252)に現在の青銅製が鋳造された。その時は大仏殿があったが台風や津波で崩壊し露座の状態のまま現在に至った。
高さは12.38m、総重量は121トン。鎌倉仏像の中で唯一の国宝
多くの観光客で賑わう露座の大仏
鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、
鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。
「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を
集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。
鎌倉大仏周辺で発掘調査を進めている鎌倉市教育委員会は大仏を納めていた大仏殿の高さが40mに
近いと推測されると発表した。新たな疎石跡が見つかり、大仏殿の規模がこれまで考えられていたより大きいことが分ったためで、
鎌倉の大仏殿は、奈良・東大寺の大仏殿より一回り小さいものの巨大な建物だったことが明らかになった。
大仏殿の奥行きはこれまでの推測より約4.5m大きく約42.5mだったことが分った。
幅は約44mで前回の調査と変わらず、専門家が分析した結果、屋根の高さは40mであることが分った。
大仏裏庭の観月堂
裏庭に建つ与謝野晶子の歌碑
『かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな』