巨福山建長興国禅寺 建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。 鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。 建長5年(1253)北条時頼が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建した、 わが国最初の禅の専門道場。 最盛期には塔頭が49院あったが火災により焼失。 現存する建物は江戸時代以降に再建または移建されたものである。 総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲む。
総門 は創建年次未詳だが建治元年(1275)頃とみられ、現在のものは昭和15年、京都般舟三昧院より移築された表門である額の「巨福山」(こふくさん)は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもの ”巨”の字には一点が加えられ百貫の値が添えられたといい,この点は百貫点といわれています
総門をくぐると正面に高さ約30メートルの三門がそびえ立つ。 安永4年(1775) に再建した重層門で、楼上には五百羅漢像が祀られている。 三門は空・無相・無作の三解脱門の略称で、一般には山門と書く 室町期の禅宗様を踏襲した重層門は威風堂々たる「本山の顔」である。 昭和29年大修理とともに茅葺を銅葺にして、平成8年二百二十年振りに大修復を行い建立当初の雄姿が蘇った。
三門右手の鐘楼には、建長7年(1255)物部重光によって作られた梵鐘が掛けられている。 創建当時の数少ない優品で国宝に指定されている。円覚寺、常楽寺とともに鎌倉の三名鐘 三門向かって右手の鐘楼にかけられている。銘文によると、建長七年(1255)開基北条時頼が大檀那となり、 開山蘭渓道隆が銘文を撰して、当時関東における鋳物師の物部重光の鋳造である。 建長寺創建当初の数少ない貴重な遺品の一つである。
開創のさい、最初につくられた。当初の仏殿は左右に土地堂・祖師堂をしたがえ、殿内には開基時頼の梁碑銘がかかげられていた。 現在のものは正保四年(1647)、芝増上寺の霊屋を譲り受けたものである。 本尊地蔵菩薩安置する他、かつて土地堂にまつられていたであろう伽藍神・祖師像それに千体地蔵・伝心平地蔵などを安置している。
仏殿の後ろにあり、大法を説く堂、古代寺院では講堂に当たる。 当初の法堂は建治元年(1275)の創建であるが、現存の法堂は文化十一年(1814)の上棟である。 平成14年、創建750年記念事業の一環として解体修理完成。
唐門の背後にあり、籠王殿とも呼ぽれる。 昭和18年(1943)、総門と一緒に京都般舟三昧院から総門とともに移築されたもので、 宝冠釈迦如来坐像が安置されている。 背後には心字池を配した庭園かあり、ツツジやショウブなどの名所でもある