建 長 寺

巨福山建長興国禅寺 建長寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。 鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。 建長5年(1253)北条時頼が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建した、 わが国最初の禅の専門道場。 最盛期には塔頭が49院あったが火災により焼失。 現存する建物は江戸時代以降に再建または移建されたものである。 総門、三門、仏殿と一直線に並ぶ伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲む。



西外門(天下門)

  
JR北鎌倉駅から県道21号を建長寺へ 途中円覚寺明月院前を過ぎ歩くこと20分、建長寺西外門に


門前に立つ境内鳥瞰図

  
西外門(天下門)の掲げられている天下禅林の額をくぐりパーキングを過ぎると総門へ

  
総門                           三門に向かい石畳が

 総門 は創建年次未詳だが建治元年(1275)頃とみられ、現在のものは昭和15年、京都般舟三昧院より移築された表門である
額の「巨福山」(こふくさん)は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもの ”巨”の字には一点が加えられ百貫の値が添えられたといい,この点は百貫点といわれています


重文  三門

 総門をくぐると正面に高さ約30メートルの三門がそびえ立つ。 安永4年(1775) に再建した重層門で、楼上には五百羅漢像が祀られている。  三門は空・無相・無作の三解脱門の略称で、一般には山門と書く  室町期の禅宗様を踏襲した重層門は威風堂々たる「本山の顔」である。  昭和29年大修理とともに茅葺を銅葺にして、平成8年二百二十年振りに大修復を行い建立当初の雄姿が蘇った。

  
萩の花が秋の盛りを知らせる

  
国宝の梵鐘     建長七年(1255年)に鋳造

 三門右手の鐘楼には、建長7年(1255)物部重光によって作られた梵鐘が掛けられている。 創建当時の数少ない優品で国宝に指定されている。円覚寺、常楽寺とともに鎌倉の三名鐘  三門向かって右手の鐘楼にかけられている。銘文によると、建長七年(1255)開基北条時頼が大檀那となり、 開山蘭渓道隆が銘文を撰して、当時関東における鋳物師の物部重光の鋳造である。  建長寺創建当初の数少ない貴重な遺品の一つである。

  
重文 仏 殿

 開創のさい、最初につくられた。当初の仏殿は左右に土地堂・祖師堂をしたがえ、殿内には開基時頼の梁碑銘がかかげられていた。  現在のものは正保四年(1647)、芝増上寺の霊屋を譲り受けたものである。  本尊地蔵菩薩安置する他、かつて土地堂にまつられていたであろう伽藍神・祖師像それに千体地蔵・伝心平地蔵などを安置している。


仏殿に安置されている地蔵菩薩

  
法  堂  (重文)

 仏殿の後ろにあり、大法を説く堂、古代寺院では講堂に当たる。  当初の法堂は建治元年(1275)の創建であるが、現存の法堂は文化十一年(1814)の上棟である。  平成14年、創建750年記念事業の一環として解体修理完成。


法堂とは住職が仏に代わって須弥壇上で説法するためのお堂


釈迦苦行像
お釈迦様が極限の苦行・禁欲(断食)を行っている姿を現したもの
奥に千手観音菩薩を祀っている

  
方丈(龍王殿)

 唐門の背後にあり、籠王殿とも呼ぽれる。 昭和18年(1943)、総門と一緒に京都般舟三昧院から総門とともに移築されたもので、 宝冠釈迦如来坐像が安置されている。 背後には心字池を配した庭園かあり、ツツジやショウブなどの名所でもある




  
方丈の裏側に広がる見事な庭園


唐門は保存工事で見ることできず   平成23年8月まで
 唐門は屋根が唐破風になっている門のことで中国式という意味ではない。仏殿と同じく芝増上寺の霊屋の門を移築したとされる。


緑の中に建つ法堂と仏殿の風情は素晴らしい




遠足の子供達多い