光円寺の創建は不詳だが楽翁秀村禅師が開山したのが始まりと伝えられている。 当初は小糸洞にありましたが宝暦年間(1751〜63)に山津波で和佐保銀山が壊滅した時の被害者の菩提と弔う為に現在地に移された。 寺宝である弥陀二十五菩薩像は貞享年間(1680年代)に飛騨に訪れた円空が二十五山の頂上の御堂で彫り込んだもので、 造像の為、山を切り開くと周辺が豊作が続く豊かな土地になったと伝えられています。 円空作二十五菩薩像は昭和36年に岐阜県指定重要文化財に指定されています。
光円寺に安置の阿弥陀二十五菩薩は、奇僧円空上人の作で、次のような謂れを持っている。 元禄1・2年頃、円空が飛騨を行脚されていた折に二十五山一帯に濃霧がわき、農作物に被害が出ていた。 円空は阿弥陀二十五菩薩を彫り、天候の回復を祈願したと伝えられる。
岐阜県下に千体近くと言われている円空彫刻の中でも、 菩薩像本尊阿弥陀如来座像を主軸に二十五菩薩を配した構成の妙は稀有とされ、県重要文化財の指定を受けた