熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
熊野那智大社の社殿は現在、那智の滝から離れた高台にあるが、かつては大滝の近くあったらしい、
仁徳天皇5年(317年)に現在地に遷されたと伝えられる

境内には正面に五殿がある。 右から四つ目の御社殿が、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)をまつるお宮でひときわ大きい、
各社殿とも熊野造りで正面の簾の奥は蔀戸で、左側には格子戸があります。殿内は外陣・内陣の二つに区切られている
外に廻廊があり、正面に木階があり、床下に腰袴がある

参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続く
熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部

熊野那智大社宝物殿
那智経塚の出土品を始め、熊野那智大社文書(国指定文化財)等、熊野信仰の歴史を語る重要資料を展示している

八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである、三本足の烏
より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、熊野那智大社の境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀られている

主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、同時に「結(むすび)」という意味を持っている。
このため、かつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていた。
元々は御滝の近くで祀られていましたが、約1,700年前に現在の場所に遷りました。