世界遺産 日光東照宮 

日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社 現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたもの

数十年ぶりの日光詣で、寺社の素晴らしさは変わらねど全体の雰囲気はかなりの変容

神厩舎前を過ぎ、石段を登ると陽明門に


日光東照宮の鳥瞰図

  
広い玉砂利の参道の奥が東照宮 途中右側に輪王寺がある


石鳥居(いしどりい)(重文)
元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納された
石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました

   
右 五重塔(重文)                           表門

五重塔は慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された 文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された 五社拝観入場券 東照宮、輪王寺を使用


表門(おもてもん)【重文】
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれている

  


神厩舎・三猿【重文)
ご神馬をつなぐ厩で、昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、
人間の一生が風刺されている。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名

神厩舎は東照宮 境内唯一の素木造り 長押(なげし)には猿の一生を描いた彫刻がある




中でも2番目の長押の三匹の猿が三猿で、見ざる・言わざる・聞かざる


欄間は8枚ありそれぞれに猿の彫刻がほどこされている
猿が馬を病気から守るという言い伝えから飾られたもので、猿の姿を借りて人間を風刺していると言われている




陽明門(国宝)
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている

  
高さ11メートル、間口7メートル、奥行4メートル、の12脚門で、1日中見て居ても決して飽きないということで、別名「日暮門」とも呼ばれている
この門には装飾彫刻が、500余りもありますので、ひとつひとつじっくり見ていたら本当に日が暮れてしまうかもしれない


魔除の逆柱
陽明門の12本の柱のうち1本は模様が逆さまに彫られており、これは魔除けのために故意にそうされたもの

  
門を裏側より

  
東照大権現の額
前面の上部の額は、後水尾天皇より賜った「東照大権現」の額で、東照宮という名は、これが根源陽明門より奥は明治維新まで庶民は入ることができなかった

   廻廊 (国宝) 陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られているいずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされている    鼓楼                         鐘楼

  
鳴龍の天井絵がある薬師堂
龍の頭部の下に立って拍手をすれば金鈴のような妙音が響く

  
   左 御輿舎                   祈祷殿と神楽殿
唐門は修復中   神楽殿の裏側に坂下門(奥社に続く)


坂下門の廻廊潜り門の蟇股にある眠り猫の彫刻(国宝)
左甚五郎作、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われている
これより奥宮に通じる
眠り猫が表現しているのは、次のような説があります。 奥社にねずみ一匹通さないように。 禅問答「牡丹花下眠猫児」を表した。 裏側の雀と対で猫の裏では雀も遊べるという安定と平和を表した。 牡丹と眠る猫で「日の光」を表現した。


坂下門の裏側


眠り猫の裏側に彫られたスズメ 猫が眠っているので安心して羽ばたいている


 520円

  
坂下門から奥の宮への石段


奥宮(重文) 拝殿・鋳抜門・御宝塔からなる御祭神のお墓所


奥宮宝塔     祭神家康公の柩をおさめた宝塔



  
仮御殿  五重塔前の庭の奥に建つ社


石鳥居横よりの眺め

久能山東照宮