久能山東照宮
静岡市駿河区根古屋390
祭神は徳川家康、相殿(あいどの)に豊臣秀吉、織田信長を祀る。


国宝 東照宮御社殿(本殿、石の間、拝殿の三棟からなる複合社殿)

晩年を静岡で過ごした家康は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616)4月17日に没した。 徳川家康公を祀った最初の神社が久能山東照宮で、当時の最高の技術と芸術をもってして造営された。、平成22年12月に国宝指定される


日本平ロープウェイ乗車口の案内板
日本平ロープウェイは「日本平」の山頂と徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」を5分間で結んでいる索道

  
久能山まで下る全長1065mの空中遊覧を楽しめる
ゴンドラから四季折々姿を変える屏風谷、駿河湾から遠く伊豆半島、御前崎を望むことができる


東照宮乗り場     社務所の横奥に入口が

  
この門をくぐって東照宮詣でが始まる。二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門とも言われている。

  

  

  

   
家康の愛馬を飼育するために建てられた厩舎
その昔、愛馬は夜になると家康公神廟の脇で休み、朝になると厩舎で餌を食べていたそうです。ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、静かに眠ったままの姿で見つかる
その話を聞きつけた名工、左甚五郎が愛馬そっくりに彫刻し、この厩舎に納めたと伝えられている。馬の眼球には当時大変貴重であったギヤマン(ガラス)が使用されている

 

  

五重塔跡
三代将軍家光の命により建立された五重塔が明治時代まで設置されていた。
江戸時代に作成された地図などには久能山のシンボルとして描かれることが多く、30mを超える技術的・芸術的にも優れた塔と伝わっていますが、
神仏分離令を受けて明治6年に取払われ、現在は礎石が残されている

  
神楽殿という名称が付いているがこの建物では神楽は行われず、武家奉納の絵馬を掲げたと伝わっている


奈良、正倉院と同じ校倉造りの建物で、東照宮への奉納品をここに納めたと伝わる

   

  
御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)
元は薬師如来像を安置する薬師堂として扱われてきましたが、神仏分離令を受けて明治3年12月に仏像を大正寺に遷し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝わっている


透塀の門を抜けると本殿へ

  
徳川家康をお祭りする神社で、没後二代将軍秀忠公はただちに久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じ、
大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月という驚くべき短期間のうちに社殿が建てられた

社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」で、当時最高の建築技術・芸術が結集されている 神社建築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされる

  

  
廟所(びょうしょ)参道
廟門から御神廟までの間をつなぐ参道で、左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられており、厳かな雰囲気が漂っている


神 廟
徳川家康の遺骸が埋葬された場所に立つ廟で、当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、
三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っています。家康の遺命に従い、西向きに建てられている



  


徳川家康の手形


楼門(ろうもん)


日本平 →← 久能山東照宮   往復1,000円



駿河湾添いのR150号(久能街道)より

一の鳥居      駿河湾沿いの久能街道からの表参道  長く続く石段
  
  
東照宮への参拝者は日本平側ケーブルカーを利用するので表参道側はほとんどいない



日光東照宮