小江戸川越散策
街並み散策七福神巡り

冷たい風の吹く早春の一日、小江戸川越の七福神巡りと旧い町並みを見に行ってきました。
七福神を巡りながらこの頁を見てくださる皆さんのご多幸を祈りました。

七福神巡り
小江戸川越には、古くから七福神をお祀りしている寺々があり,七福神信仰は、
室町時代末期より行われ、「七難即滅、七福即生」の説に基づくものといわれている。
徳川家康公と関わりのあった天海大僧正は、天下泰平の人々の幸福を願って、七福とは清廉―恵比須天、有福―大黒天、
威光―毘沙門天、愛敬―弁財天、人望―福禄寿神、寿命―寿老人、大量―布袋尊といわれた。
江戸時代には、七福神めぐりとして無病息災、家内安全など諸願成就を願う人々が寺社をめぐり参詣していた。

小江戸川越七福神めぐりは、全行程約6Km、東武東上線・川越駅や川越市駅、JR埼京線・川越駅、西武新宿線・本川越駅を起点に徒歩でも半日、 観光と健康増進も兼ね、丁度手ごろなコースです。

第一番 毘沙門天

妙善寺

寺は寛永元年に建立しましたが、天明8年の火災によって焼失し仮堂でいたがしかし昭和53年壇信徒の力によって再建される

  
本尊は不動明王で、阿弥陀如来、観世音菩薩、毘沙門天も安置されています

    
毘沙門天は仏教の守護神で多聞天と呼ばれている。鎧、兜に身をくるみ左手に持っている
宝塔より無量の宝物を衆生に与えて福徳を授け、右手の鉾は邪を払い魔を降ろす徳を
示している。心には勇気決断、くらしには財という物心ともども福を施す神である。

  
川越と言えばさつまいも 本堂前庭に立つ「さつまいも地蔵尊」




第二番 寿老人

天然寺
国道16号沿いですが、武蔵野の風土を今でも残す静かな感じのする寺


寿老人は中国の神様で、老人星の化身で福禄寿と同体異名であると言われ、その姿は多様である。
長頭、長髪、右手に杖を持ち、左手に長寿のしるしの桃を持っている。富財、子宝、諸病平癒と
その御利益は多岐にわたっている。


長寿の神として信仰


本堂の前庭右手に寿老人堂が


天文23年(1554)9月開山で、栄海上人によって建立された古刹。境内には慈母観音像、六地蔵尊等安置されています。
武蔵国十三仏霊場にもなっている格式の高いお寺です。

  
武蔵国十三仏                         六地蔵尊

  
本堂裏の高台に墓地を見下ろして立つ観音菩薩           近くの人家の庭にたわわに実る夏蜜柑が




第三番 大黒天

喜多院

関東天台宗の大本山で、創建は平安時代のあの有名な最澄の弟子である、慈覚大師円仁と言われており、全国でも有数の格式を誇る名刹

 
大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神である、平安以後食を司る台所の神と崇められた。
又日本の神、大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合わせ、糧食財宝が授かる神として信仰した。


くろ(黒)くなって、まめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益がえられる


南光坊天海は第二十七世の住職で、徳川家康から篤い信頼を得てた


徳川三代に絶大なる信頼を得て、黒衣の宰相とまで言われた天海はなんと108歳まで生きたといわれている

  
大師堂(慈恵堂)                              滋眼堂

慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。 裄行(たけゆき)9間、梁間(はりま)6間、入母屋造りで銅版葺。現在、喜多院の本堂として機能し、 中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修しています。 川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものです。 昭和46年度から4年間にわたり解体修理が行われました。天井に描かれた数々の家紋は、その際に寄進をされた壇信徒のものです。

  
苦ぬき地蔵尊                             庫裏入口


多宝塔
高さ13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのる。
江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。




第四番 恵比寿天

成田山 成田山新勝寺の別院

石川照温上人(一心坊)創建のお寺で、病気平癒のご利益があるといわれる その昔両目を失明し、失意のどん底にいた石川照温上人(一心坊)は成田山新勝寺にて苦行の末、目が見えるようになり、 諸国巡礼の際に川越に立ち寄り、新勝寺を分霊し、こちらにお寺を建立いたしました。


本堂前には右手に立つ福寿殿 隣に出世稲荷社と並ぶ

  
恵比寿の名は外人を意味するエビスの言葉と同じで、本来は異郷からの来た人々に
幸福をもたらすと信じられた神であり、漁村では海の神、福利を招く神として
商人からも深い信仰が寄せられている。

  
                              左 本堂横に建つ不動明王像




第五番 福禄寿人

連馨寺(れんけいじ)

川越城主であり、上州松井田城の城主でもあった北条三家老の一人、大道寺政繁の母、蓮馨大姉が1549年に創建したお寺。 江戸時代は、僧侶の学校として多くの僧侶を輩出いたしました。 場所は本川越駅と一番街の間で、大正浪漫夢通りが近く、名所散策には非常に便利な場所に建っています。


  

  
本堂右手に祀られている福禄寿神

  
福禄寿神は幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え方位除災、商売繁盛、延寿福楽投の
ご利益を現される方である。当寺の尊像は右手に霊芝、左手に神亀を持ち、癌や脳卒中を
早く直してくれると崇められている。

  
水舎も建物に彫られた木彫欄間   みごと・・




第六番 布袋尊


  
見立寺
大道寺政繁によって1558年創建されたお寺。最初は建立寺といっていたが、のちに今の見立寺と変更されます。


布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担いで各地を放浪し、
吉凶を占い、福を施して回った。未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、
昔から崇められてきた。

  
本堂前庭の右手に立つ布袋尊の可愛い御堂


入口に法然上人の像が出迎えてくれ、古都川越に似合う、しっとりとした静かな佇まいのお寺




第七番 弁財天

妙昌寺
日蓮宗大本山池上本門寺の末寺として1375年室町時代初期に造られた古刹で、600年以上の歴史を持つ名刹です。
以前はもっと川越城の近くにありましたが、川越城改修の際に今現在の地に移転しました。
平成四年三月に信徒による長年の念願だった新本堂と客殿が完成しました。

観音堂   

弁財天は七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として古くから
商人や芸人など幅広い人々の信仰を集めており、運を開き福を招く女神である。

  


堂前の松は素晴らしく、手入れが行き渡っている


寒い山国からの訪問では柑橘類の実りの景色は春の暖かさを感じさせる

  
左 七福神の色紙           七福神めぐりのイラスト

街並み散策