川越大師 喜多院
星野山 無量寿寺 喜多院

江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物


多くの文化財を所蔵している喜多院は埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名

  

 
山門の前に立つ
 
山門の前に立つ


山門         国指定重要文化財
4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。寛永9年(1632)に天海僧正により建立され、喜多院では現存する最古の建物


慈恵堂(本堂)
比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつるお堂

  
大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ぶ


本陣(慈恵堂)の内陣

 
中央に慈恵大師、左右に不動明王を祀る

  

 
境内右手奥より内部拝観受付が

  
書院、本堂の拝観口  ¥400

  
江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築


徳川家光の幼少時に使用した什器類

  
書院から本堂へ渡る廊下

  
書院から本堂へ続く廊下から見る奥庭             江戸城紅葉山を模した庭

  
書院廊下より本堂への入口                        表山門上部に掲げられていた山号額

 
多宝塔  県指定有形文化財
寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されましが、その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築された
、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しました
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのり、江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れている


慈恵堂(本堂)と右側に観音堂


小江戸川越七福神の大黒天が祀られている観音堂

大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神です。平安以後食を司る台所の神と崇められました。又、日本の神大国主命を大国と混同させ、 命の御神徳を合わせ、糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られる




五百羅漢
1,782(天明2年)から約50年かけてつくられたものと言われる。
全体で538体あり、人間味あふれる様々な表情をした石仏は、それぞれどこか身近に居そうな親しみをかんじさせてくれる

  
中には売店横から入る(入場券は建物拝観料と共に購入¥400)


中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍に文殊・普賢の両菩薩が並ぶ


笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をしている

  
一体眼鏡をかけた石像が


いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、見ていても飽きないくらい、変化に富んでいる


苦ぬき地蔵尊

  
慈眼大師天海をまつる御堂
小高い岡の上にあり、この丘は7世紀初頭の古墳を利用している

  
入母屋造りで本瓦葺   1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻がある


番所      県指定有形要文化財
山門右側に接して建てられている番所は、切妻造りの小規模な建物で、徳川江戸中期から江戸末期の建物