海 野 宿
海野宿は、古代の豪族海野氏の領地に江戸幕府によって開設された北国街道の宿場町
1986年には「北国街道」が日本の道100選に選ばれ


当時の本陣跡や明治時代の養蚕業などの建造物が並ぶ町並みが重要伝統的建造物群保存地区に指定されている
道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった家並みは、歴史のふるさとを想わせる静かなたたずまいを感じさせる

  
媒地蔵 (なかだちじぞう)
加賀の殿様が参勤交代の折りにお参りしたところ、なかなか良縁の恵まれなかったお姫様が結婚出来たという逸話が残っている

  
1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置され、田中宿との合宿であり、後に本宿になる

木曾義仲が挙兵した地や海野平の戦いがあった地、海野氏の子である真田幸隆やその兄弟の出身地とも言われている。 海野宿には、約6町(約 650 m)にわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、 北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。

  
地物の産物や加工品が売られている  各家大きな屋号が掲げられている

   
海野宿の風土・歴史・資料を展示  入口の障子戸開け、土間で見学料(200円)を支払う  明治時代の養蚕業に用いられた伝統的建造物も残っている
海野宿資料館

  
玄関は僅かな改造でお店に

  
街道沿いは店舗で、裏庭に工房を持ち、作品を製作しているとのこと   作品は近代的なデザインの美しいもの
ガラス工芸 橙(だいだい)


土産物、喫茶、狭い店内に楽しい物が一杯  土日は都会からの観光客で賑わう

  
名物のクルミおはぎを頂く    店主と昔話に一時を ・・・・
大嶋屋で一休み


明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため、養蚕業を主に行っていた


卯建(袖うだつ)が上がる建物    裕福な家でなければ出来なかった
「うだつがあがらぬ」という言葉の起源

   うんのわ
各家は奥が深く、裏庭も奥の建物も観光用に再利用している


1986年に「北国街道」が日本の道100選に選ばれ、1987年には海野宿が種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている

   
海野宿の北口に立つ宿の案内
60年前に訪れた時の記憶が僅かに残る、まだ養蚕が行われて時代    総てが綺麗に・・・・