プラド美術館
スペイン絵画
美術館専門のツアーガイドさんが館内を案内してくれる
作家の一生、描かれた時代背景、作品の内容まで詳しく分かり易く解説して頂いた
ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス(黒い絵)』の前で
エル・グレコ EL Greco (1541〜1614)
エル・グレコはギリシャのクレタ島生まれでイタリアで過ごした後トレドに住み生涯を過ごした
左《キリストの洗礼》 右《キリストの磔刑》 《聖三位一体》
初期作品はバロック調のベネツィア派の画風であったが、トレドに住むようになり、宗教的な精神に個性が加わり光の表情と自由な表現とで画風を完成させる
力強く荒々しい筆跡と、びっくりするような人体表現で劇的に表現されている。
引き伸ばされた人体構造によって表現される父なる神とイエスは、高い聖性を示すものとして、当時の宗教関係者や知識人から、圧倒的な支持を得た。
ディエゴ・ベラスケス Velasquez (1599〜1660)
セビーリャに生まれ、若くして才能を開花させ宮廷絵画家として活躍する
《ラス・メニーナス》(女官たち) マルガリータ王女
スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケス最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』
画風は空気遠近法として後の印象派画家達に大きな影響を与えた
マルガリータ王女を中心にキャンパス前の自分まで描いた「ラス・メーナス」は絵画史上に名を残す一枚といえる 制作された当初は≪家族の絵≫もしくは≪王家一族≫と呼ばれていた
画面左側にはベラスケス本人と思われるる画家が筆を手にし、大画面のカンバスには国王夫妻の肖像画を描いている姿が配されている
《アラクネの寓話(織女たち)》
1940年代まで当時マドリッドの綴繊工場を描いたものとされ別名『織女たち』と呼ばれていた
現在は戦いと芸術を司る女神アテネと、アテネの弟子でリディアの娘アラクネとの織物勝負の場面を描いたものであると解釈されている
《ブレダの開城(槍)》
ベラスケスを代表する歴史画
1625年のオランダの要塞都市ブレダを陥落させた後、オランダ軍総督ナッサウがスペイン軍司令官スピノラに城門の鍵を渡す場面が、
ベラスケスの巧みな構図と優れた表現力によって感情豊かに描かれている。
大胆で洗練されたベラスケスの作風が最も良く示される作品のひとつである。
《バルタサール・カルロスの騎馬像》
バルタサール・カルロス(1629-46)はフェリペ4世の長男として生まれ、
アストリア公(スペイン皇太子)と言われ、広大なスペイン帝国の王位後継者として国中の期待を一身に背負って育てられた。
王太子は王位を継ぐことなく、16歳で早逝した。背景の風景はマドリード郊外のグアダラマ山脈を描いたもので、
それを描き出す流麗でよどみのない色彩、そして写実性は本作にスペイン風景画史における傑出した地位を与えている。
フランシスコ・デ・ゴヤ Goya (1746〜1828)
タペストリーの下絵を描いていたが、その後宮廷画家として活躍
近代絵画の創始者の一人として知られるスペインの巨匠。1780年サン・フェルナンド王立美術アカデミーへの入会が認められ、王室や貴族の肖像画を描く。
その写実的な作風が当時飽食気味であったロココ美術に変わるものとして支持を受け、1786年国王付の画家、
1786年、新国王になったばかりのカルロス4世の任命から宮廷画家となるが、1790年代に入ると聴覚の喪失、知識人との交流を経て、強い批判精神と観察力を会得。
1801年に王室を描いた作品『カルロス4世の家族』を制作。また当時のスペインはフランス軍の侵入もあり、
自由革命や独立闘争などの争いが絶えなかったという情勢もあり、
その時期には『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』や、住んでいた家の壁に描いた連作『黒い絵』など数々の名作を描いた。
1824年フランスに亡命し、ボルドーで死去。享年82歳。
「着衣のマハ」
『裸のマハ』を制作した翌年以降(1800-1803年頃?)に手がけられたと推測されている。
『裸のマハ』と同様の姿勢・構図で描かれる本作であるが、『裸のマハ』との最も顕著な差異は、
マハは当時スペイン国内の貴婦人が愛用し流行していた異国情緒に溢れたトルコ風の衣服に身を包み、化粧も整えている点である。
本作と『裸のマハ』は画家の重要なパトロンのひとりで、権力を手にしてから皇太子や民衆を始め様々な方面から非難を浴びせられた宰相ゴドイが所有しており、
その為、一般的にはこの2作品は宰相ゴドイが制作を依頼したものだとする説が採用されている。
「裸体のマハ」
モデルが誰であるかという噂がたえなかったとのこと
この絵の制作にまつわる話、裸体のマハが公になった後のゴヤの立場等、この2枚の絵に関する話題は大変興味深く面白い厳格なカトリック国家で、神話画を含む如何なる作品であれ裸体表現に極めて厳しかったフェリペ4世統治下のスペインにおいて制作された
非常に希少な裸婦像作品であるが、ゴヤは本作を描いた為に、制作から15年近く経過した1815年に異端審問所に召還されている。
左我が子を喰らうサトゥルヌス(黒い絵)
西洋絵画史上、最も戦慄を感じさせる問題作
これはサトゥルヌスが生命を奪い取る存在としてだけではなく、生命を与える存在であることも同時に意味している。
また少数ではあるが食人という行為によって、人間の残酷性・特異性・異常性のほか、理不尽性や不道徳などを表現したとの解釈も唱えられている
本作には晩年期に近づいていたゴヤが当時抱いていた不安、憂鬱、退廃、老い、死、など時代に対する思想や死生観、
内面的心情が反映されていると考えられているものの、根本部分の解釈は諸説唱えられており、現在も議論が続いている。
「カルロス四世とその家族」
首席画家へ任命された翌年(1800年)から1年近くかけて制作されたスペイン国王≪カルロス4世≫一家の集団肖像画である。
王妃の悪い面の性格が、 絵からにじみ出るように上手く描かれていたので、 二度と宮廷から注文がこなくなったという
卓越した技法により心理描写に優れ、ドラマを感じさせる
アッと言う間に時間が過ぎました、もっとゆっくり見ていたい・・・