トライローカナート王時代の1448年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきた 寺院のシンボルは、東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王(1448〜1488年)とその王子らの遺骨が納められていたと言われる 仏塔の東側に本堂が後に建立され、高さ16メートル重さ171キロの、純金に覆われた立仏像が置かれていた この仏像が寺院名にもなった「プラ・シーサンペット」といいます。 1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で寺院そして仏像は悉く破壊されましたが、戦後になって修復され、現在の姿となる アユタヤ遺跡の最重要物、15世紀末に王専用の寺院として建てられ、3基のチェディには3人の王の遺骨が納められている (画像クイックで拡大可) 遺跡内には仏像がいくつかは残っているが頭部が付いているのはわずか スリランカ様式のチェディをはじめ寺院が煉瓦の上から漆喰が塗られて作られていたのがよく分かる 18世紀のビルマ軍の侵攻によって寺院は跡形もなく破壊された、遺跡横には広大な広場(宮殿跡)がある 破壊される前の寺院を想像するとスケールの大きさに驚くばかり