北飛騨旧高原郷を治めていた江馬輝常が、母益世の念持仏聖観音を本尊に開きました。 源平合戦の折、平経盛の愛妾益世は身重の体で捕らわれて切られるところでしたが、 念持仏に向かい一心に観音経を唱えると一命が助かり、無事男の子を出産しました。 この子は鎌倉において北条時政に養育されていましたが、源頼朝の命で江馬家を興し初代輝常となりました。 同時に飛騨へ配流となり、その折に持参した母の念持仏が秘仏聖観音立像です。