相応院の前身は、秋の高山祭で有名な桜山八幡宮を管理していた「八幡宮別当長久寺」でしたが、 明治政府の神仏分離令(廃仏毀釈)によって、長久寺は廃寺となり八幡宮だけが残った。 そこで和歌山県の高野山にあった金森家の菩提寺「相応院」を移し、明治25年当地に再興され現在に到っている。