長野市の西方、虫倉山の山麓の御山里集落にある。 創建は不明で古くから高福寺という寺が有ったとのこと、寛永5年(1628)隣村の和尚が中興開基し 広福寺に改名したとのこと。江戸時代の弘化4年(1848)に長野市付近を中心とした大地震(善光寺地震)が起き、 寺も押し流されてしまったということです。その後、村人の努力で再建され「乳出し観音」と呼ばれ厚く 信仰されていたようですが、戦時中に荒れ果ててしまい、今の寺は最近信者の皆さんの浄財を集め再建したもの。 今は無住寺ですが、こじんまりとしたお堂が建っていました。 御詠歌 広福寺 誓ひを頼む八重桜 峰の嵐も吹きや散らさじ 集落から離れ山の麓にぽつんと建っている ご本尊 聖観世音菩薩 乳の出が少ない女性がお米を二合お供えし、すでに上がっているお米を持ち帰って 少しずつご飯に入れて食べていると、乳が沢山出るようになると言うことです 寺の以来を説明してくださる添乗員 木食行者が彫ったと伝わる木像 虫倉山南面の裾に建つ観音堂 観音堂のある集落から見る虫倉山 収穫間もない豆を庭先で