ヒエラポリス遺跡 (HIERAPOLIS)
BC190年に始まった都市の遺跡
パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡で、ローマ帝国の温泉保養地として栄えた
ローマ帝国時代にも地震で破壊されるが、その後復興。しかし1354年の大地震で完全に廃墟と化す
ネクロポリス(墓地)

遺跡の真ん中を道路が通っている、丘の向こうがヒエラポリスと石灰棚   遺跡の中に道を通すようなことは・・・・

  
古代の共同墓地の遺跡としては最大規模とのこと.色々な時代にわたり長く使用され (右画像拡大可)
墓の形式もヘレニズムからビザンチンのものまで様々にあるが、盗掘等で殆どが破壊されている.

  
真っ白な大理石でできた壊れた棺には心が痛む  見学者と比べるとその大きさが分かる



ヒエラポリス
石灰棚近くの台地には、古代都市ヒエラポリスが広がっている
紀元前190年にペルガモン王国のエウメネス2世によって建設された都市で、2世紀にローマ帝国の支配下に置かれた
パムッカレと共に「ヒエラポリス・パムッカレ」として世界遺産に登録された

この時代のものとしては最も内陸部にある   ヒエラポリスとは聖なる都市という意味 類まれな自然の造形美と温泉文化を謳歌した古代都市も、度重なる地震に見舞われ今は廃墟となっている

  
ドミティアン門と言われ大通りの北端の門 (左画像拡大可)          南北を貫く大通り       

  
(左画像拡大可) ローマ、ビザンチン時代までの長い期間繁栄が続いたが
セルジューク朝(イスラム系王朝)によって町は滅ぼされた

  
石積みの典型的なローマ建築で建物の壁の表面は大理石で覆われていたという


現地ガイドさんに遺跡の説明を聞くツアー一行
某社の一人参加のツアーです、年配の女性が多かったです、びっくりするほど皆さん元気でした